シバの戯言

つまらん戯言を書いています。

今、読み返したら、1年も経っていなかった。

そうだそうだ、お義母さんが天国に逝ってしまわれた後に書き込んだんだ。

もう、時間の間隔も薄くなっていく。

こんなで働けるのか?とも思うのですが、「人間、死ぬ気になれば何でも出来るはず」と考えるのです。その言葉は、つい先日みたTV時代劇ドラマでの一言でした。

私の大好きな小説家池波正太郎先生の作品で「雲霧仁左衛門」というのがあるの。テレビドラマにもなっているのですが、そのTVドラマでの私の一番のお気に入りは、山崎努が雲霧を演じた1995年の作品です。これが一番好きなのよん。脚本は、宮川一郎。古田求が1作書かれています。

監督は、工藤栄一が3作品、ほかに齋藤光正や舛田明廣、小笠原佳文が2作品づつ、他にもおられます。

山崎努がまあ、しびれるほどカッコいい!!また色気があり艶がある。仕草・佇まいが美しい。そして、その部下の石橋蓮司扮する「木鼠の吉五郎」これも素晴らしい演技。渋い!!おっちゃん、カッコいいねん!池上季実子も美しいの演技もいいけど美しい。「お千代」という役。もう言うこと無しの素晴らしい作品。音楽がね、いいんですよ。梅林茂。カメラも凄い。だって、石原興だも〜ん。素晴らしいに決まっちょります!!監督も本もカメラも照明も舞台装置も、勿論原作が素晴らしいのですじゃ。素晴らしい作品です。

 

前置きが長くなって、何が言いたかったかといえば、第14話で雲霧が捕まるんですね。でも捕まったのは、雲霧の兄上で身代わりとなって自訴するの。それで「おかしら」が捕まったものだから愛するお千代が助けだそうと画策する。その時はまだお千代は、捕まったのは「おかしら」の兄上様とは知らないけれど、一所懸命にどのようにして助け出すかを考えるのよ。そしてお千代の妹分のおみつが、お千代と助け出す算段をしている時のシーン。

「ねえさん、相手は火付盗賊改だよ。どうするんだい?どうすりゃいいんだい?」とお千代に問う。その時お千代は、

「考えるんだ。人間死ぬ気になりゃ、何でも出来る。だから考えるんだ」と言う。この台詞が私おバカちゃんの心に響いたのです。

「そうだ!死ぬ気になれば何でも出来る。私はまだ死ぬ気になっていない。金が必要なら稼げばいいじゃん。働こう」と自分を奮起させたのです。毎日自由に時間を使って暮らしているから、組織で働くということは大変に体力的に「キツイ」を意味し想像します。でも、一所懸命に死ぬ気になれば、大変だろうけど、出来なくなくはないだろうと、そう思いました。

くだらんでしょ?TVドラマの時代劇観てて、涙を流し、自分の人生に影響されるなんて。でも「いや〜映画って素晴らしいですね」と昔、水曜ロードショウの水野晴朗が言ってたけど、本当ですよ。TVドラマは作り事です。しかしながら、その作品に影響され、

「よっしゃぁ、自分も頑張ろう!やるぞ!」と感じ入り、実行すれば、それは作り事ではなくなる。芸術作品は、作り事であろうとも人々の心に訴え、面白いとか悲しいとか感激したなど、観る人が感じたならば、「作り事」と一言で片づけるわけにはまいりません。

頑張ろうと思うのです。

 

 

なんと1年も経ったの?

「久々のブログ」と言うタイトルでアップしたのが、まあ、なんと1年も前だったなんて。

おーっと、なんと言うことでしょう!

 

もう、ブログは今年で止めるかな。

毎年、なぜこんなにも忙しいのだろうか?

今年後半からちょっと働くことにしました。金が要りようなんです。

鈴鹿市に「鈴鹿墨」という伝統工芸品がありまして、その鈴鹿墨の展示が来年、ドイツのデュッセルドルフで開催されるのです。そのための資金が必要、と言うのもあるのですが、私自身の渡航費用も稼がないとならぬ事になりまして。

現在、6月18日から10月16日まで、ドイツのヴュルツブルクシーボルト博物館で、鈴鹿墨展が開催されています。

もしも、何かの機会がありましたら是非に、お立ち寄りくださいまし。

 

シバちゃんはジェンダー関連のNPOの活動もしているのですが、それに携わっている友人からこの鈴鹿墨にも携わることになってしまって、まあ、なんと言うことでしょう!

そりゃね、私ごときが大したことは出来ませんが、少しでもほんの微力ながらも、ご助成になれば、との想いでござんすよ。

 

 

久々のブログ

 こんなにブログ更新をしないで、ブログの意味はあるのかと考える。

 久しぶりの更新です。忙しい毎日でした。

 4月に、義母が亡くなりました。とてもいい方でした。義母と私は、嫁姑の確執なんぞ、存在しなかった。また残された義父もこれまた良い人で、二人寄り添うように生きてらした。とてもラブラブだったし。昨年だろうか、長年寝たきりの義母を介護する義父に、夫が、

「おかあさん、ではなくて名前で呼んであげなよ」と言ったら、照れながら怒ったように

「呼んでるよ!」と仰ってた。一人になったお義父さんが本当に可哀想で。お義母さんには、本当にありがとう、と感謝の言葉しかありません。

 

 5月の最後の週末に、49日の法要と納骨に茨城経由仙台へ行ってきました。

 名古屋から新幹線に乗ったのですが、そこで、驚くべき人に出会いました。まあ、存在するんですね、こんなバカ。もう、何をどう話せばよいのか判らないくらい非常識というか、人が明らかに「失礼な!」と感じる行為をする人。自分の考えがまともで、回りの人々が間違いであると考えている人。まるで勝手に言いがかりをつけるヤクザでした、そのバカ女。

 新幹線チケットは、前もって買わず乗る寸前に購入しました。二人で購入画面を見ながら、「3列席のB、Cで、出口近く。ああ、これでいいんじゃね?」と私に賛同を求める夫にOK!をだし、チケットを購入。お弁当を買ってホームで待っていました。

 早くに列に並んでいる男性のあとに、ちょいケバの若そうな女性がやってきました。黒のトートバックにケバケバのお花のチャーム?を付けて、ドピンクのコロコロスーツケースとスタバかどこかのストロー付きのお飲み物を持っている。マスクをしているから、目しか見えない。回りの風景と一緒に、そんな女性をボーッと見ていると、新幹線がホームに入ってきました。

 夫と乗り込み、席の番号を見ると、なーんとそこに、つまり3列のA席にそのちょいケバの若そうな女性がいるではありませんか!さらに、私らが座る席に、スーツケースとバックをおいている。私が「すみません」と言おうとしたら、舌打ちをし小さいけど聞こえる声で、

「っち。ええ?マジ?最低!」と言いながら、バックを持ち上げスーツケースを除けました。「うしろとか空いてるじゃん」と小さいながら聞こえる声で仰る。これが超〜〜ムカついた。なんで、あんたからそんな罵声を言われなきゃならんの?

 いやいや、あなたの横に座りたくて、座ろうとしているわけではないよ。たまたま買ったチケットがここだっただけなのよ。

 自分は私らの席に荷物を置いていて、私らが来たから荷物の移動をしなければならないのは、私らの所為ではないよ。そもそも、誰かが座るかも知れないって、考えないのか!あんた、世間をなめんじゃねよ!!と大声で言いたかったけれど、こんなバカ女に何を言っても始まらない。そして、荷物をガチャガチャと自分の足下に置きだした。私の足に、スーツケースの角が当たっても何も言わない、無礼者。あのような奴を「無礼者」というのさ。江戸の頃なら「無礼者!」と切り捨ててやるところだが、そうはいかない。

 私は、そのバカ女の横のB席、夫は、通路側のC席。一部始終を見ていた夫に、

「What's a bastard bitch!」と耳元で呟いた。夫は、うんうんと頷いていた。

 そのバカ女は、「はぁ〜」とか「っち」とかまだ、ブツブツ言っている。うるせぇよ、アホ!と怒鳴りたい心を抑えながら、カツサンドと天むすおにぎりをいただきました。

 しかし、私も60年ほど人生を歩んできたけれど、赤の他人様から、ましてや本日初めて会った人から「最低」と言われたのは初めて。そりゃね、私の回りにもいろんなお人がおりました。でも、あんたが「最高」だよ、私らは「最低」かも知れないが。

 自分はおそらく優雅に誰にも邪魔をされず、東京へ向かいたかったのでしょう。その僅かな幸せを崩され、「最低」と宣ったのだろうと思う。決して私らにはいた暴言ではないと思う。しかし、阿呆!世の中をなめんじゃねえよ!自分の思い通りに世の中回っていないよ。

 そのバカ女は、いかにも「私、仕事も何もかもイケテル女性です」って雰囲気をかもし出すのよ。そこがまた浅はかにしか私には、見えない。

 更に、面白いことが起こったのさ。車内販売のワゴンが来たとき、そのバカ女は、酎ハイとチョコをご注文されました。私らは、パーサーが出しやすいようにテーブルをさっと元に戻した。決して、あのバカの為にではなく。でも、「チョコ」って言うんだ。ちいさなころ「チョコ、チョコ」って言ってたな。

 パーサーは優しく「これでよろしいですか?」と缶酎ハイを掲げ、チョコとともに値段を言ったの。値段はいくらだったか忘れたけど、バカ女が出した硬貨では、足りなかった。パーサーがもう一度値段を言い、足りない旨を伝えたら、「あ、じゃぁこれで」と1000円札をだした。「金も数えられねーのかよ、この人」と心の中でほくそ笑んだのは、私一人ではないはず。イケテル女は、金を間違えるなよ。

 私は「缶酎ハイを飲んだら、数分後にはこりゃトイレに立つぞ。だって、新幹線に乗る前にアイスコーヒーみたいなのを抱えてたし」と思っていたら、時間的にも行動もピタリと予想はあたり、そのバカ女は、イヤホンを耳にしたまま、私に向かって、

「立ちたいんですけどぉ」と言った。最初声が小さくて聞こえず、「え?」と言うと、いかにも「耳が遠いのかよ、このババア」と言いたげに、何故か自分のイヤホンを取り、

「立ちたいんですけどお」と仰る。それを言った時の顔の貧しいこと!いやね、あんたがイヤホン取らなくてもいいと思うけど。私も、あなたがもう少しましな相手なら、

「だから?立ちたいなら立てばよろしい。あなたがお立ちになりたいのは理解出来ますが、私に何をして欲しいのですか?」と言い返すが、優しさのかけらもない、貧しい心と貧しい頭の持ち主に何を言っても始まらない。無言のまま私は足下の荷物を抱え、通れるようにしてやった。夫は、すっと立ち上がり席を空けた。「ごめんなさい」も「すみません」も「ありがとう」も当然ない。人とのコミュニケーションが出来ない人なのだろう。何故か知らないが頭にきている姿で、コツコツと靴音を立ててトイレに向かった。「ありがとう」も「失礼します」も言えない人。でもパーサーには言ってたな、「ありがとう」って。訳が分からん???

 そのバカ女が立った後、横浜が近くなったので、夫に、2列並びの席に替わろうよ、と言い私らは荷物を左後ろ後方へ移りました。夫は、ずっと立ったまま。バカ女は、トイレから戻り、また「っち」とか「はあ〜」と言っている。まるで、「動くなら早く動けよ」と言いたげに。

 横浜を過ぎたら、そのバカ女、再度トイレへ行こうと立ち上がった。夫は通路に立っているから、バカ女は夫の後にじっと立ったまま。夫は、それに気がつき通れるように身をよせ、バカ女は無事トイレへ直行した。

「どいてください、とか、通ります、とか言えねーのか、あのバカ!」と夫はちょっと大きな声で言う。私は、

「コミュニケーション出来ないんだよ。しかし、あそこまで自由な振る舞いをする人、久しぶりだ」と回りに聞こえるように言ったのが、私らの僅かな反撃でした。

 後日、夫とあのバカ女の話になったとき、

「おまえさ、あの写真見た?あのバカのバックからちょっと見えたんだ男の写真が。多分、彼氏と思うけどさ、すっげーチャラ男なの。何故かプンプン怒っている女だけど、男はチャラ男というそのギャップに、可笑しくってさ。笑いだしそうで唇をかんでいた」とのこと。私たちは、大笑いしました。

 夫がどんな仕事をしたら、ああまで自由になれるのだろうかといい、「お水系?」との意見を言ったけど、私は、いやいや、「お水」の方は礼儀正しいよ、と反論。夫は、いや「お水」でもピンキリがあるじゃんと再反論。結局、私ら「判らん!」という結論を出した。

 始めて出会った人に、あそこまでやりたい放題に言ったり行動したり、私が考える常識とはかけ離れたところで自由に生きている。でも、けっして羨ましいとは言わないな。ごめんとかありがとうとか、言おうよ。それで人と意思の疎通が出来るのだよ。言わないことが美徳ではないし、その行動を醜いと私は思う、あなたは思わないだろうけど。心の醜さは、顔に出るよ。肌は綺麗なのに、行動が醜いから、お顔も醜いと人は考える。目しか見えないけど優しさのかけらもない人の醜い顔を、私は想像してしまう。哀れな人だ。

「醜態をさらす」とは、バカ女の1時間半の行動のことを言うのだと判りました。

 もの凄く優しく心も顔も美しい義母が逝ってしまい、人の心を平気で傷つけ、心に槍を投げつけるような哀れなバカ女は活き活きと生きている、この世の中。なんでこうなるのだろう?

人を傷つけたのだから、せめて、バカ女に天罰あれ!と願うばかり。でも、お義母さんは帰ってこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月13日

 なんと言うことでしょう!
もう、12月も終わりを迎えようとしているではありませんか。
ということは、2021年も終わると言うことですね。

今年も超~忙しかった。
漸く6日締め切り(一般的には)原稿を提出しました。大したものではないのだけれど、市が発行している雑誌の記事。なんかさ、こう書くとライターみたいな感じ。偉そーに。

水曜日が編集委員会で私が出した修正案の検討などもありーの、記事の読み込みもありーのでしょう。さて、どうボロクソに言われるか楽しみです。

だから今日は、提出してしまったので、母から頼まれていたカーディガン等を買いに行きました。昔というか、ずいぶん若い頃は、イオンなんて靴下か下着ぐらいしか買わなかったのよ、なんでか知らんが。今じゃあなた、買いますよ、お洋服もスーパーで。テレビショッピングもやっちゃうよ。インターネットでも買うけれど。もう、何でも良いのよ。安くてそこそこ質も良くて、自分に合うなあ、と思えばそれでいい。以前なら、コムサデモードというブランドが大好きで。今でも好きですが。毎月お店に行って、何かを買って、次回来るときに買う服を予告していた。
服やら靴やらバックやら、バカが買うんだ今でもだけど。ほんと、バカじゃね?

で、母のカーディガンを探していたら、イオンの中のお店が店じまいセールやっていて、吸い込まれるように入っていき、ほかにセーターも買いました。それだけなら良いのだけれど、ボトルネックのカシミヤセーターが売られていた。結構かわゆいし、ちょっとエレガント。前から欲しかったのよ、こんな感じ。それが3割引じゃん。どうするよおれ!と迷いながらも、購入です。

あ~あ、おばか!

2021年10月6日

毎日が忙しいのに・・・
って、「何がそんなに忙しいの?」と、普段の私をあまり知らない友人や母から言われる。
そうだね、長年会っていない友人にとって、私が、金にもならないボランティアをやっていることが、理解に至らず不思議でしょう。

私は、12年ほど前からジェンダー関連の2つのNPOで活動しています。
まあ、その事については、追々綴っていこうと思っています。

昨年から、新型コロナで動けないのに、何かと忙しかった。今年も、新型コロナで動けないのに、忙しい。
昨年の7月から書きためたつまらん日記にようなものがあり、それをこのブログに載せようと、アーカイブスみたいにフォルダーを作って入れておこうと思うのだけれど、それもしていない。
ブログをHPみたいに、トップページを作って、サイドメニューを作り、日記のようなページやつまらん落書きのページとかを作ろうと思っているのだけれど、それもしていない。今は、思うだけ。


ああ、しかし、活動しているNPOではないけれど、その他に参加しているものがあるんだけれど、そちらが超~忙しくなりそう。
ほんと、私は、自分で自分の首を絞めるのが得意らしい。

昨年から、市が発行している雑誌の編集委員になっていて、ただいま来年号に向けての文書や記事を書かねばなりません。
「書かねばならぬ」って、なんか偉そう-に、ライターみたいな言い方だけれど、文章の執筆能力なんて、ありゃしませんよ、わたしゃ。
だから、もう、どうしようか!!!と思うばかり。
しかし、書かねばならん状態になってしまって。あははは、もう笑いしか出てこない。

なんか昔のCMで見た気がするけれど、まるで「どーする!?どーするよ!自分!」って感じです。

2021年9月10日 空が青い

空が青い

 雨が降った翌日は空気がクリアで、木々など景色がくっきりしている。だから、空も美しい。

sora これは、今日の空ではない。

 35年くらい前に、カナダに行っ た。行く前、カナダに旅行経験をもつ、お茶のお稽古で一緒だった年配の友人が、

「空気が綺麗っていう表現はおかしいけれど、澄んでいてほんとうに綺麗なのよ」と話してくれた事があった。
仰るとおり!カナダの空気は、素晴らしく美しかった。おかしな言い方だ。透明なのに、綺麗だって。

 それは、空気が澄んでいて、淀んでいないことを意味するんだね。

 今日の空は、そんな空。

 美しい青を見ながら洗濯物を干す。

 

 何も考えず、ボーッと生きていきたいなぁ。

 

 私は、ジェンダー関連の二つのNPOの仕事をしていて、昨年から、某市行政が発行している文化雑誌の編集委員も加わった。これについての件は、6月29日に書いています。

 その雑誌の今年の特集テーマは、「ジェンダーに関すること」となった。私にとっては、我が町に少しでもジェンダーに関することが広まり、それはうれしいことだけれど、どのような内容で、どのように構成するのか、それが問題。ジェンダーの「ジェ」の字を言っただけでも、拒否反応を起こす人々は、まだまだおられますのよ。

 まあ、なんとか内容構成し企画した。その内容が編集委員会で了承され、早速、インタビュイーや執筆者に連絡したの。現在、二件そのお返事をお待ちしている状態。

 なので、心中は、やきもき。

 

 そのお返事待ちのいま、お部屋を片付けようよ、自分。

リビングも和室もゴミ屋敷まではいかないけれど、もうちょっと頑張れば、ゴミ屋敷に近くなる。って、こんなことを頑張ってどうするよ!このおバカぁ!

 今年こそ、和室をね、片付ける予定です。リビングと同時並行で。

 

 私、絵を描くのが好きなんですね、昔から。高校の時は美術部でした。

毎日毎日デッサンしていた。油絵具も使ったよ。数十年後、結婚して油絵具やイーゼルやいろいろ買い込んだ。

 そして、2年ほど前に、ボランティア活動をしている仲間から、「夫が使わなくなったので」といって大量の油絵具をいただいた。それが半端なく大量。ありがたいを超えている量。だからその絵の具を使って絵を描きたい。描かねばならぬ!

 絵の具は、和室に保管しています。しか~し、和室は、現在、絵を描ける状況ではないほど、私のNPO活動の荷物にあふれているの。イーゼルも折りたたまれて立っている。

 だから、片付けます、絵を描くために。

 とはいえ、どのようにマネージメントするん?

 ボーッと部屋を見て終わりにならねばよいが。ねぇ、自分よ。

・・・・・

 数時間後、少しゴミが減った部屋にたたずみ「あまり変わらんな」と思う自分がいた。