シバの戯言

つまらん戯言を書いています。

久々のブログ

 こんなにブログ更新をしないで、ブログの意味はあるのかと考える。

 久しぶりの更新です。忙しい毎日でした。

 4月に、義母が亡くなりました。とてもいい方でした。義母と私は、嫁姑の確執なんぞ、存在しなかった。また残された義父もこれまた良い人で、二人寄り添うように生きてらした。とてもラブラブだったし。昨年だろうか、長年寝たきりの義母を介護する義父に、夫が、

「おかあさん、ではなくて名前で呼んであげなよ」と言ったら、照れながら怒ったように

「呼んでるよ!」と仰ってた。一人になったお義父さんが本当に可哀想で。お義母さんには、本当にありがとう、と感謝の言葉しかありません。

 

 5月の最後の週末に、49日の法要と納骨に茨城経由仙台へ行ってきました。

 名古屋から新幹線に乗ったのですが、そこで、驚くべき人に出会いました。まあ、存在するんですね、こんなバカ。もう、何をどう話せばよいのか判らないくらい非常識というか、人が明らかに「失礼な!」と感じる行為をする人。自分の考えがまともで、回りの人々が間違いであると考えている人。まるで勝手に言いがかりをつけるヤクザでした、そのバカ女。

 新幹線チケットは、前もって買わず乗る寸前に購入しました。二人で購入画面を見ながら、「3列席のB、Cで、出口近く。ああ、これでいいんじゃね?」と私に賛同を求める夫にOK!をだし、チケットを購入。お弁当を買ってホームで待っていました。

 早くに列に並んでいる男性のあとに、ちょいケバの若そうな女性がやってきました。黒のトートバックにケバケバのお花のチャーム?を付けて、ドピンクのコロコロスーツケースとスタバかどこかのストロー付きのお飲み物を持っている。マスクをしているから、目しか見えない。回りの風景と一緒に、そんな女性をボーッと見ていると、新幹線がホームに入ってきました。

 夫と乗り込み、席の番号を見ると、なーんとそこに、つまり3列のA席にそのちょいケバの若そうな女性がいるではありませんか!さらに、私らが座る席に、スーツケースとバックをおいている。私が「すみません」と言おうとしたら、舌打ちをし小さいけど聞こえる声で、

「っち。ええ?マジ?最低!」と言いながら、バックを持ち上げスーツケースを除けました。「うしろとか空いてるじゃん」と小さいながら聞こえる声で仰る。これが超〜〜ムカついた。なんで、あんたからそんな罵声を言われなきゃならんの?

 いやいや、あなたの横に座りたくて、座ろうとしているわけではないよ。たまたま買ったチケットがここだっただけなのよ。

 自分は私らの席に荷物を置いていて、私らが来たから荷物の移動をしなければならないのは、私らの所為ではないよ。そもそも、誰かが座るかも知れないって、考えないのか!あんた、世間をなめんじゃねよ!!と大声で言いたかったけれど、こんなバカ女に何を言っても始まらない。そして、荷物をガチャガチャと自分の足下に置きだした。私の足に、スーツケースの角が当たっても何も言わない、無礼者。あのような奴を「無礼者」というのさ。江戸の頃なら「無礼者!」と切り捨ててやるところだが、そうはいかない。

 私は、そのバカ女の横のB席、夫は、通路側のC席。一部始終を見ていた夫に、

「What's a bastard bitch!」と耳元で呟いた。夫は、うんうんと頷いていた。

 そのバカ女は、「はぁ〜」とか「っち」とかまだ、ブツブツ言っている。うるせぇよ、アホ!と怒鳴りたい心を抑えながら、カツサンドと天むすおにぎりをいただきました。

 しかし、私も60年ほど人生を歩んできたけれど、赤の他人様から、ましてや本日初めて会った人から「最低」と言われたのは初めて。そりゃね、私の回りにもいろんなお人がおりました。でも、あんたが「最高」だよ、私らは「最低」かも知れないが。

 自分はおそらく優雅に誰にも邪魔をされず、東京へ向かいたかったのでしょう。その僅かな幸せを崩され、「最低」と宣ったのだろうと思う。決して私らにはいた暴言ではないと思う。しかし、阿呆!世の中をなめんじゃねえよ!自分の思い通りに世の中回っていないよ。

 そのバカ女は、いかにも「私、仕事も何もかもイケテル女性です」って雰囲気をかもし出すのよ。そこがまた浅はかにしか私には、見えない。

 更に、面白いことが起こったのさ。車内販売のワゴンが来たとき、そのバカ女は、酎ハイとチョコをご注文されました。私らは、パーサーが出しやすいようにテーブルをさっと元に戻した。決して、あのバカの為にではなく。でも、「チョコ」って言うんだ。ちいさなころ「チョコ、チョコ」って言ってたな。

 パーサーは優しく「これでよろしいですか?」と缶酎ハイを掲げ、チョコとともに値段を言ったの。値段はいくらだったか忘れたけど、バカ女が出した硬貨では、足りなかった。パーサーがもう一度値段を言い、足りない旨を伝えたら、「あ、じゃぁこれで」と1000円札をだした。「金も数えられねーのかよ、この人」と心の中でほくそ笑んだのは、私一人ではないはず。イケテル女は、金を間違えるなよ。

 私は「缶酎ハイを飲んだら、数分後にはこりゃトイレに立つぞ。だって、新幹線に乗る前にアイスコーヒーみたいなのを抱えてたし」と思っていたら、時間的にも行動もピタリと予想はあたり、そのバカ女は、イヤホンを耳にしたまま、私に向かって、

「立ちたいんですけどぉ」と言った。最初声が小さくて聞こえず、「え?」と言うと、いかにも「耳が遠いのかよ、このババア」と言いたげに、何故か自分のイヤホンを取り、

「立ちたいんですけどお」と仰る。それを言った時の顔の貧しいこと!いやね、あんたがイヤホン取らなくてもいいと思うけど。私も、あなたがもう少しましな相手なら、

「だから?立ちたいなら立てばよろしい。あなたがお立ちになりたいのは理解出来ますが、私に何をして欲しいのですか?」と言い返すが、優しさのかけらもない、貧しい心と貧しい頭の持ち主に何を言っても始まらない。無言のまま私は足下の荷物を抱え、通れるようにしてやった。夫は、すっと立ち上がり席を空けた。「ごめんなさい」も「すみません」も「ありがとう」も当然ない。人とのコミュニケーションが出来ない人なのだろう。何故か知らないが頭にきている姿で、コツコツと靴音を立ててトイレに向かった。「ありがとう」も「失礼します」も言えない人。でもパーサーには言ってたな、「ありがとう」って。訳が分からん???

 そのバカ女が立った後、横浜が近くなったので、夫に、2列並びの席に替わろうよ、と言い私らは荷物を左後ろ後方へ移りました。夫は、ずっと立ったまま。バカ女は、トイレから戻り、また「っち」とか「はあ〜」と言っている。まるで、「動くなら早く動けよ」と言いたげに。

 横浜を過ぎたら、そのバカ女、再度トイレへ行こうと立ち上がった。夫は通路に立っているから、バカ女は夫の後にじっと立ったまま。夫は、それに気がつき通れるように身をよせ、バカ女は無事トイレへ直行した。

「どいてください、とか、通ります、とか言えねーのか、あのバカ!」と夫はちょっと大きな声で言う。私は、

「コミュニケーション出来ないんだよ。しかし、あそこまで自由な振る舞いをする人、久しぶりだ」と回りに聞こえるように言ったのが、私らの僅かな反撃でした。

 後日、夫とあのバカ女の話になったとき、

「おまえさ、あの写真見た?あのバカのバックからちょっと見えたんだ男の写真が。多分、彼氏と思うけどさ、すっげーチャラ男なの。何故かプンプン怒っている女だけど、男はチャラ男というそのギャップに、可笑しくってさ。笑いだしそうで唇をかんでいた」とのこと。私たちは、大笑いしました。

 夫がどんな仕事をしたら、ああまで自由になれるのだろうかといい、「お水系?」との意見を言ったけど、私は、いやいや、「お水」の方は礼儀正しいよ、と反論。夫は、いや「お水」でもピンキリがあるじゃんと再反論。結局、私ら「判らん!」という結論を出した。

 始めて出会った人に、あそこまでやりたい放題に言ったり行動したり、私が考える常識とはかけ離れたところで自由に生きている。でも、けっして羨ましいとは言わないな。ごめんとかありがとうとか、言おうよ。それで人と意思の疎通が出来るのだよ。言わないことが美徳ではないし、その行動を醜いと私は思う、あなたは思わないだろうけど。心の醜さは、顔に出るよ。肌は綺麗なのに、行動が醜いから、お顔も醜いと人は考える。目しか見えないけど優しさのかけらもない人の醜い顔を、私は想像してしまう。哀れな人だ。

「醜態をさらす」とは、バカ女の1時間半の行動のことを言うのだと判りました。

 もの凄く優しく心も顔も美しい義母が逝ってしまい、人の心を平気で傷つけ、心に槍を投げつけるような哀れなバカ女は活き活きと生きている、この世の中。なんでこうなるのだろう?

人を傷つけたのだから、せめて、バカ女に天罰あれ!と願うばかり。でも、お義母さんは帰ってこない。